長岡壽一講演録(新しい法律相談)



相談者とのコミュニケーション
新しい法律相談のあり方
---コンサルテーションから、カウンセリングへ---


主催  札幌弁護士会 法律相談センター30周年記念事業実行委員会
事業  法律相談センター30周年記念特別企画[講演とシンポジウム]
    『法律相談センター改革――市民のために・会員のために』
日時  2004(平成16)年9月3日(金)午後1時〜5時30分
会場  北海道厚生年金会館3階 瑞雪の間

講師  元「日弁連公設事務所・法律相談センター」委員長
                 弁護士  長  岡  壽  一



T はじめに
 
 1 自己紹介など
 
 ただいまご紹介いただきました長岡壽一(ながおかとしかず)でございます。まず、私の経歴などは今日お配りしたレジュメに書いておきましたのでご参照ください。
 法律相談について、若干私と法律相談センター事業との関わりをご説明しますと、山形県弁護士会では、平成元(1989)年1月から法律相談センターを設置しまして、毎週1回の相談を開始いたしました。その後現在では毎日相談をやっております。その一つのいわばモデルといいますか、その目指すところというものが、東北ですと仙台とか、全国の各先進的相談センターがありました。そういうところが私たちが目指す目標になって、つくるべき相談センターの構想ができたわけでございます。その中でも、一番素晴らしいと思って高く評価していたのは、この札幌弁護士会の相談センターシステムでございます。当時全国的に最も注目されるセンターの一つでございました。
 平成元年には、日弁連主催の「法律相談事業に関する全国協議会」の第1回の会議がこの札幌において行なわれまして、私も参加しておりました。その時、札幌弁護士会の相談センターが弁護士会の事務所とは独立して別の場所につくられていること、そして市民の方々も入りやすく、相談を受けやすくしていること、を実際に見聞きいたしまして、一つの感銘を受けた次第でございます。この度、そのセンター開設30周年という記念の年に当りまして、私如きがお呼ばれいたしまして、皆様方にお話をできるということについて大変光栄に存じております。
 
 2 法律相談センターと公設事務所
 
 また、私はご案内のとおり「日弁連公設事務所・法律相談センター」という委員会の活動を長らくしておりまして、その活動の中で全国各地域に相談センターを設置すること、それからひまわり基金が開設された後は、それに加えて公設事務所を開設するという事業を展開して参りました。この札幌弁護士会におかれましても、困難な条件を克服され、その両方とも積極的に対応していただきました。公設事務所につきましても、具体的に開設の目処が立って、人選も終わっているということでございますから、大変有り難く感謝いたす次第でございます。
 
 3 札幌弁護士会への期待
 
 全国各地域の弁護士の数と、その地域の人口を対比して一覧にして調べてみました。札幌弁護士会は、管内人口が330万人ほどでありまして、それに対して会員数が今年(2004年)の4月で334名と、ほぼ1万人に弁護士1人という対応であります。この1万人に1人という数がどういう意味をもちますかというと、東京は三会ありますけれどもそれを一つとして見ますと、全国の50(地方裁判所の数)の地域において、1万人に1人の弁護士数を確保しているというのは極めて少ないんですね。他には、東京は特殊といいますか、1,200人に1人という数でありますけれども、あとは名古屋、大阪、京都、福岡でございます。それから、正確にいうと沖縄県もそうなんですが、沖縄の場合には弁護士制度に関する特殊事情がありますので実態は違うかと思われます。
 このように、札幌弁護士会はその地域の人口に対する弁護士の数という観点からいいましても、大変大きな力量を持っておられる単位会でございます。そのような単位会がこれからセンター30周年を経て、さらに飛躍される、そして改革ということを実現していこうと、このように取り組まれることについては、ひとり私個人としてだけではなく、全国の弁護士から期待を持って注目されることであると存じます。是非、積極的に果敢に取り組んでいただきたいと、心から期待する次第でございます。
 
U 法律相談をめぐる動き
 
 1 法律相談の研修・訓練
 
 つづきまして、法律相談センターの事業に関係してお話を進めますが、法律相談というのは、これをやらない弁護士はいない、つまり弁護士であれば相談を必ずするわけです。相談を経なければ受任にも至りませんし、代理人としての交渉や訴訟、その他の活動に入っていけない、必然的に相談という関門を最初に経なければならない。それだけに、すべての弁護士に関わることであって、逆にそうだからこそかもしれませんが、「私は相談が専門だ」なんていう弁護士はいないわけです。その結果、法律相談自体の専門性とか、あるいは、その相談のあり方や技術に関する分析や研究というものが、ほとんど行なわれてこなかった分野であるとも言えるかと思います。現に、司法試験に合格して、司法研修所を終了して弁護士になるという過程を振り返ってみますと、もちろん司法試験の科目に相談実務などということも、相談の理論などということもまったくありませんし、民法や民事訴訟法とかにかかわる場面で、法律相談について出題されるということもないわけです。
 では、司法研修所に入ってからはどうか、といいますと、前期・後期の修習では相談そのものを分析的に検討する機会というのは、私は30期ですが、私の時にはありませんでしたし、現在もそこまで具体的な講義や講演がなされているという情報に接していません。
 では、実務修習としての弁護修習では、どうやっているかといいますと、多くは修習の指導担当弁護士の脇に座って相談の場面を体験する。あるいは、補助的に発問して自ら相談場面に参加していく。こういうことで、人がやっている、つまり先輩の弁護士がやっている相談を脇から見聞きして、こんなものかと覚えていくということが一般的だろうと思います。従来は4か月、現在3か月の弁護修習の期間、これは非常に短い期間でしかありませんので、そのなかで相談に携われる回数といえばそれほど多数回にわたれるはずもございません。せいぜい十件かそこらだろうと思われます。そしてまた、指導担当弁護士がその相談結果などを分析して、それを具体的にシステム化して修習生に教えるという手法も、ほとんどとられていないと思われます。私自身も、そういう指導方法をほとんどやってこなかったというのが実際の経験です。
 
 2 従来の法律相談の特徴と実情
 
 そうしますと、弁護士になるまでに、相談のあり方とか、法律相談とは依頼者との関係とはどういうものなのかということについて、ほとんど訓練、研修、あるいは他人からのチェックというものが行なわれないまま、弁護士になるということです。その後に初めてする仕事が法律相談です。そこでは、一人前の弁護士として、密室の中で依頼者・相談者と直面し、その場面でその小さな部屋の中で一つの解決へ向けて不安な心を隠しながら、私は信頼できる実力のある弁護士だから信頼してほしいというような表情を出しながら、相談者と接している、というのが実態ではないでしょうか。
 そして、その不安と闘いながら何年か経験する中で、自分なりの相談のスタイルというものができ上がってくる。そしてまた、相談を経て受任する、そして受任した事件処理をやっていく中で、その相談の際に見極め難かった問題が後から発生して、こんなはずではなかった、相談のときの聴き取りと判断に失敗したと思うようなことも多々経験しながら、相談の場面というのは非常に大切なんだということを実感として分かってくるという、こういうのが我々の歩んできた、我々のといいますか、正しくは私自身が歩んできた体験でございます。
 今からもそのようなやり方、つまり法律相談のやり方などに関して、一人ひとりの弁護士に任されているようなやり方を続けていてよろしいんだろうかということが、問題意識の根底にございます。
 
 3 職人芸的な法律相談
 
 ある法社会学者が、法律相談というのは一つの職人芸のようである、と言っております。そしてまた、それに熟練した人は名人芸とも言われるような評価を受けているということを、そういう言葉で表しております。これは、素晴らしいという、熟練したやり方で素晴らしいという評価もあるんでしょうけれども、ある意味では、誰にも伝承されない一人限りの芸、職人としての一人前だということであり、自分が自覚して納得して満足して、それで終わっている、もしかすると自己満足なのかという問題を含んでいます。
 ところで、職人の場合は、例えば木工など、何かをつくるというような人を想定しますと、弟子がいて、同じ場所で下働きから始めてその芸を見ながら長年かけて自然に身につける、場合によっては盗みとるということがあります。しかし、弁護士の場合には、例えば数名の弁護士が一つの共同事務所を運営していたとしても、相談を受ける場面では大体が1人で1人の相談者を相手にしておりますし、他の弁護士たちがそれをチェックするということはほとんどないと思われます。そうしますと、職人といっても他の一般的な物を作る職人とは違って、ほとんど伝承できないという現実があります。十年二十年かかってやっと自分が満足できる職人になったかなという、自己満足の域で終わってしまいかねない職人ではないか、という反省も含めて、私たち自身が個々人で、職人芸と学者が言っている言葉をさらに分析して考えてみなければならない。そして、自分たちの変革のあり方というものを考える一つのきっかけにしなければならないのではないでしょうか。
 
 4 法律相談の改革の視点
 
 今日のシンポの表題にも「改革」という言葉が使われております。改革というのは、政治にしろ行政にしろ、そしてまた、今の司法改革にしても、いろんな場面で使われております。弁護士における、特に相談における改革とは何なのかということを考えてみると、いろんな見方からいろんな要素をたくさん集めて、これもあれもということを言い募ると、ほとんどその本質的な意味を見失ってしまいがちです。こういう難しい言葉を使う場合には、できるだけ端的に、簡潔に、簡単に、誰でも分かるような見方をしたほうがいいと思います。私は、改革とは、ものの見方を方向を逆にするということだと思います。あらゆる改革は、それが本質だと思っています。
 では、法律相談という場面に当てはめて、改革とは何かを考えます。弁護士がいわば相談というサービスを提供する立場の弁護士として、どうあるべきかということを自分で考えるのではなく、依頼者である相談者の側から見て、相談者が弁護士に対して何を求めているのか、そして何があれば、どういう要素があれば相談者が満足できるのか、これを考えることだろうと思います。
 それに対して、弁護士が提供できるサービス、そしてあるべきサービスと、現在現に行なわれている弁護士による相談者へのサービス、その違いが何処にあるのか。その差を埋めていく、それを制度として、あるいは自分自身の体質改善として行なっていくというのが、改革であろうと思います。
 ですから、依頼者側、市民側、お客様側の立場から見て、私たち弁護士が何を求められているのか、を考えて分析すること。また、求められているというと自分の側から見ての問題把握になりますから、お客様は市民は何を求めて弁護士に関わろうとしてくるのか、ということを考えること、それを分析すること、心理面を含めて人間行動の実態を把握することが大切だろうと思います。
 そういう視点からいいますと、今日、私のお話をお聞きいただいた後に、市民の方々の代表的な立場の方に入っていただいてシンポジウムをされる、そして、皆様と親しく議論がなされるということは、大変素晴らしい意義の大きい企画だと思っております。
 
V 相談者中心の対応
 
 1 相談者の納得と満足とは
 
 そこで次に、法律相談の改革、そしてまた同時に、相談の中で依頼者が満足するとはどういうことなのか、ということを考えていきたいと思います。
 数年前(1998年)に、山形県弁護士会のセンターに法律相談に来られた方々を対象にアンケート調査をいたしました。そして、それを詳しく分析しました。アンケート調査は、平面的にやるだけだといくつかの質問・回答相互の間の相関関係が分からなくなってしまいます。平面的に集計するだけになりがちです。そこで、私たちは、東北弁連大会が行なわれる際の地元会主催のシンポジウムの素材として、1年間かけてそのアンケート調査実施と分析をしました。今回テキストになっております相談技術の書籍を編集をした菅原郁夫教授(名古屋大学大学院・法社会学)が、当時福島大学の助教授でおられましたので、法社会学者として分析手法の第一人者であるとお聞きして、指導と分析をご依頼しました。相談者に対する質問項目の設定から、その後の結果の分析までを依頼した次第です。そして、その結果、なるほどと思えるような、分析的な科学的な結果を提示していただくという成果を得ることができました。
 そこでの本質的な要点をご紹介いたしますと、相談者が相談センターに来て、相談を受けて「満足」したというためには、どういう要素が必要なのかということをテーマに調査したわけです。その内容を端的に申し上げますと、満足というのは、一つの要素だけから満足ということに直接つながるのではなくて、満足の前に「納得」という要素ないし段階があるということが分かりました。つまり、相談者は納得を経て満足に至るということです。
 
 2 よく聴き、分かりやすく話す
 
 では、何があれば、どういう要素があれば納得するのか、ということが、次に問題になりますね。相談者が受けた相談について納得するためには、二つの要素が必要だとされています。それは、弁護士が相談者の話をよく聴くこと。つまり相談者側からすると、自分の話をよく聴いてくれたということです。それからもう一つは、弁護士が相談者に対して説明しますが、この説明を相談者がよく理解できた、ということです。つまり、相談者の側からすると、自分が言いたいことを喋ることができたし、それを弁護士がよく聴いてくれたということ、もう一つ、弁護士が言うことの中身がよく理解できたこと、この二つであります。
 これらの点は、我々弁護士において相談の中身を意識をもって変えていくことによって、実現できることですね。そして、実現しなければならない分野だろうと思います。
 なお、この他の課題として、お金と時間の問題があります。相談者が満足するかどうかの判断契機の中に、お金つまり相談料が高いかどうか、それから相談時間が十分かどうかという課題があります。この二つは、相談のシステムといいますか、制度そのものの問題ですので、一人ひとりの弁護士がなかなか自分の個別の工夫や改善の努力だけで解決できる場面ではございません。相談センター全体の制度の中で解決をしなければならない分野だろうと思います。
 この点でいいますと、先程基調報告の中でもご説明ありましたように、札幌弁護士会におかれては、離婚や相続についての相談では30分ではなく45分を標準とするということでございます。これは、相談者に大きな満足を与える重要な要素になると思います。紛争の当事者である依頼者においては、離婚や相続というのは何十年にも亘る非常に長い、そして深い人間関係の中で起きた問題状況でありますから、いろんなことを深く広く聴いてもらいたいという要請が高いんですね。そういう場面で、30分だけですといって話を制約しながら、弁護士が先々に話を進めようとする態度で臨めば、やはり相談者の方は納得できないし不満足に終わってしまう、ということがいえるだろうと思います。
 それから、先程のご報告ですと、弁護士に対する苦情、クレームがあるということですが、これはある意味では、数ある中にでてくるのはやむを得ないことだろうと思います。そしてまた、苦情を言うということは、弁護士(会)に対して期待するからこそなんですね。それからもう一つその点で考えなければならないことは、普通の商売の場合ですと、その店舗に行かなくとも、別の店に行って買い物をしても同様の満足を得ることができる。だけども、札幌およびこの地域に住む人にとっては、札幌弁護士会しかないわけで、選択肢がないわけですから、その人たちに対するいわば独占的な法的サービスの提供をしているのが弁護士会であり、そしてまた、個々の弁護士であるということも考えなければならない特殊な事情だろうと思います。この点で、専門職業人またはその団体として、クレームに対する対応の仕方ということが大変重要な課題になっています。またこれは、全国的に共通の課題でもありますので、日弁連の委員会などを通じて情報の交換をして、新しいシステムを創っていけるよう期待しております。
 
 3 相談者の緊張感を思いやる
 
 そこで、具体的に相談者と弁護士と、相談する場面の中でどのように意識の違い、立場の違いがあるのかということを、次に検討してみたいと思います。
 私たちは、なりたての場合は別にしましても、弁護士の実務を何年かやっていると、法律相談というのは日常の業務の中に溶け込んで、もうごくごく自然にシステムの中で対応してやっておりますから、問題意識や緊張感というものが薄くなってしまっているんですね。しかし、相談に来られる方というのは、多くの場合に一生に一度、これが初めてで多分最後だろうという方が多いわけです。私もつい最近経験したことですが、遺産分割の依頼を受けまして、代理人として調整の結果話合いで解決したんですが、その後御礼の手紙をいただきました。その方が、その手紙の中で「一番最初に法律事務所に入っていく時の何ともいえない心細い気持ちは、一生忘れられないでしょう」と書いているんです。その方は三十代の既婚の女性で職業が公務員の方ですから、いろんな社会的な経験とか人付き合いとか普通にしておられる方です。そういう方であっても、一番最初に法律事務所に入って弁護士に相談しようとする、その場面というのがすごく印象に残って、自分自身の心細さというものを感じながら、そしてその案件が解決した後も一生忘れられないだろう、ということまで書いておられるわけです。
 この法律相談をめぐっての双方のギャップというのは、我々弁護士の、相談場所を主催して、そこを設営して受け容れる立場と、そこに入ってこられる相談者の立場と、その形式的な立場の違いはもちろんですが、本質的に人生での受け止め方が違うということだと思います。この相談者の心細さとか不安というものを、我々が一人ひとりの相談者に対して、本当に理解をしながら最初の声がけをしているんだろうか。それを考えるだけでも、自分自身のやっていることが十分かどうか、そして、弁護士としてどのように変わっていくべきなのか、問題意識を持って自分自身で可能な限りチェックできるのではないかと思います。つまり、自分自身がチェックしなければ、弁護士の場合には、あと誰もチェックしてくれる人はいないわけです。そういうのが、弁護士と相談者との基本的な違いであると思います。
 
W カウンセリングマインド
 
 1 紛争当事者と観察者の違い
 
 それから、相談者は、そのトラブルとか事件とかの当事者です。当事者であることは、そんなことは当然分かってますよ、と言われるでしょう。じゃあ、弁護士は何なのかということも、もう一つ分からなければならない側面です。弁護士は、当事者ではない。じゃあ当事者に準じたものかというと、相談を受ける場面では決してそうでもないですよね。まだ、依頼を受けることも代理人になるとも決まったわけでないですから。これを一言でいうと、観察者なんですね。当事者と相手方当事者、つまりAさんとBさんのトラブルに関して、Aさんが弁護士に相談に来た。これを聞く弁護士は、AさんとBさんのトラブルの状況を観察している人なんです。だからこそ、観察者だからこそ、冷静に第三者的な目で紛争の本質を見極めて、解決に向けての適切妥当なアドバイスができる、という利点も当然あります。
 しかし、観察者という視点から、観察者の立場から第三者的なあるいは直接的断定的な言葉を発してしまうと、当事者として悩んでいる相談者は、どう受け止めるだろうか。つまり、この弁護士は、私の悩みを分かってくれていないんじゃないか、第三者的なものの見方や捉え方をして喋っているんじゃないか、という疑問を持って評価をしてしまうおそれがある。振り返ってわが身を省みると、そういうことが実際にも多いのではないでしょうか。
 そこで、私たちが観察者でありながら、当事者の相談をよく受け容れて、そして先程述べましたように相談者が満足できるようにするための一つの要素として、よく聴いてくれた、自分の悩み事をよく聴いてくれた、ということを、相談者から評価してもらうことが必要になって参ります。
 
 2 カウンセリングとは
 
 そこで、一つの大切な視点をご提案したいのが、「カウンセリング」という言葉です。カウンセリングというのは、必ずしもこういう意味ないし定義であると、明確になっているものではございません。精神肉体や人間関係の悩みを聴くことについて、最近では相談システムの名称に取り入れられたり、臨床心理の仕事の中で多用される用語になりました。その相談システムの趣旨や目的によって、同じ言葉であっても、若干、あるいは大きな違いがあるといえます。そのようなあいまいな意味を有する言葉として用いられているのが現状かと思います。
 そこで、この場面についても、端的にカウンセリングの本質は何なのかということを、私なりに、つまり私がお話ししたいカウンセリングとは何かを言葉でいいます。法律相談の場面ですので「相談者」という言葉で統一します。相談者の人生の中で起きたトラブルや人間関係の悩みごとを、相談者自身が自分の人生の中で解決したい、だけども自分の判断や力だけでは解決できないという場面において、他人特に法律専門家である弁護士の助力を頼まなければならない。そこに弁護士が関わって、相談者が自分で自主的に解決したいことについて不足する力量を、弁護士が支援する、援助するということです。つまり、ここでは解決するかしないかを含めて本人が決めることですから、そういう自分が解決することを、法律的な立場から援助していくということ、これがカウンセリングの基本だろうと思います。
 つまり一つは、相談者が主体となって、相談者中心なんだということです。それに対して、弁護士がやるのは、その悩みを任せておけ、私が解決してあげると言って引き取ったり引き受けたりするのではなく、その渦中にある本人、相談者が自分の意志で解決できるような支援をしてあげるということです。
 
 3 コンサルテーションからカウンセリングへ
 
 そう考えていきますと、私のレジメの副題で「コンサルテーションからカウンセリングへ」と書きましたが、これは、弁護士がやっている相談の場面をよく分析してみた場合に、分からないことを教えてあげると、そうすればあなたは納得できるでしょう。例えば、権利があるのかどうか、あるとすればそれは金額に見積もるといくらの請求ができるのかというような実体面のこと、さらにはその権利を実現するためにはどんな具体的な手段方法をしていけばいいのかという手続面のこと、こういうことを法律として教えてあげるという場面があります。これは弁護士による法律相談の本質的な部分ですから、相談の内容に当然に含まれなければなりません。
 しかし、それだけではいけないのではないかというのが、このコンサルテーションから・・という部分なんですね。つまり、今お話したように、法律に関する知識とか権利実現の手法とか現実の見通しとかを教えてあげますという部分をコンサルテーションという言葉で表しています。が、相談の要素はそれだけではなく、カウンセリングという側面ないし志向が重要視されるべきではないかという提案です。先程の説明からお分かりのように、相談者本人が自分で解決しようとする、そして自分の心の中で、あるいは人間関係の中で、解決が実現された、目標が達成されたという最終的な到達点を、自分自身の判断と選択と行動により得られるようにすることです。その自覚と自信が本人に与えられるような、本人が自覚できるような場面を、弁護士が支援して援助をしながらつくっていくということであります。
 
 4 傾聴、受容、共感
 
 そこにおいて重要な要素が幾つかあります。相談者中心の対応という場面でありますが、そこで私たちが何を注意して何をすべきなのかということですが、三つの言葉で言い表されております。
 一つは、よく聴くことです。つまり、「傾聴」という言葉に表わされていますが、相談者が悩んでいることをよく聴くこと。このよく聴くという部分は、法律問題であろうが、あるいは民事でいえば要件事実に関係しようがしまいが、相談者の悩みは悩みにほかならず、トラブルはトラブルなんですから、そういう場面を含めて全部よく聴き容れるということです。
 そして、単に聴いただけでなく、それを受け容れます、弁護士自身があなたの悩みを受け容れます、これを「受容」といいます。よく聴いて、私はあなたが悩んでいることそのこと自体と内容が分かりました、それを受け容れますということ。
 さらに、あなたが今、トラブルや悩みを持って、それをあなたの人生の中で解決しようと努力していること、そしてその悩みの原因や背景となっている問題場面、その中においてあなたが今人生を営んでいること、そのことを私は共感をもってあなたと一緒に対策を講じていきましょう。あるいは、あなたが解決したいという場面を支援していきましょうという、「共感」という場面です。
 この、傾聴--良く聴いて、受け容れ--受容して、そして共感をもつということが、依頼者、相談者と弁護士との間において共有されたならば、小さな部屋の中で共有されたならば、これは相談者と弁護士とが信頼関係上一体となって、その相談者が抱えている問題や心配事やトラブルの解決へ向けて、一緒になって役割を担いながら進みましょうという意識、そのような共通の意識が醸成されるはずであります。これが、提唱したいカウンセリングというものの基本的考え方であります。
 
X 具体的ケースにおいて
 
 1 離婚相談の場面で
 
 例えば、先程のご報告にありました札幌弁護士会における、離婚、相続、家族問題などの相談センター、その部門を新たにつくるということ、それから、多重債務者の問題を解決するためのセンターの部門をつくるということが挙げられましたので、そういう場面を想定して、カウンセリングの考え方を当てはめてみたいと思います。
 離婚の相談は、どの相談センターでも多重債務者の問題に次いで数が多い相談類型であります。全国どこでもそうです。ですから、弁護士側からすると、大抵の弁護士は、一般の事件を扱っている弁護士は離婚に関する相談を受けて、離婚の協議交渉から調停や訴訟などをやっておりますから、ほとんどの人は特にこれが専門分野だという意識を持っておりませんし、通常の業務の中の相当多くの部分を占める一般的な仕事だという意識でやっております。
 しかるに、相談者側から見ますと、相談センターに行って求めるものの一つに、そこに行けば自分が期待するような、つまり離婚の問題の場合は離婚の問題を解決してもらえる、そしてその前に相談を受けてもらえる専門的な弁護士に会えるのではないか、そういう弁護士に相談ごとを聴いてもらえるのではないかという期待があります。つまり、弁護士の専門性に対する信頼と期待であります。一方において、私たち弁護士は、そういう場面を専門という言葉では捉えていないですね。しかし、相談者側からすると、私が今悩んでいる離婚問題というのは、一般の財産的な問題など、お金の貸し借りなどとは違って、人生を左右する重大な局面であるから、そういう専門の、得意の弁護士を相談センターで当ててもらいたいし、その人に相談を受けてもらいたい。そして、必要に応じて依頼をしたいという期待を持っております。
 ですから、私たちが、いやあまた離婚か最近多いなあという感じで、何が原因なのか、子どもはいるか何歳か、職業と収入や財産があるのかとか、そういういわば要件事実的な聴き方をしていくと、当のご本人はそれだけでは絶対に納得しないし、よく十分に聴いてもらったという満足に近い意識を持ちませんし、多くの場合不満を持ってそこの相談を終えて帰えられるということにならざるを得ません。
 特に離婚というのは、何年も、あるいは十何年も何十年もの原因があって、そして今に至って何らかの決断を迫られているという長い背景がありますから、その中での言いたいことというものをよく聴いてあげるということが不可欠であります。
 弁護士は、一番新しいところで離婚原因になるような事実を、あっこれだなということで見つけてしまえば、相談への回答や解決の方針が決まって、後はもし離婚裁判などを受任するという段階になればもっと詳しく聴けばいいということを考えがちです。しかし、相談者の方々にとっては、決してそのような合理的な割り切り方ができないだろうと思われます。
 そこが、法律適用の要件事実的な、それを前面に出した聴き方でなく、その法律論を後ろに引っ込めて、法律がどうなっているのかなんてことは一切言葉に出さないで、相手から求められれば別ですが、それを表面に出さないで悩みの部分を聴き容れるということが、離婚相談の場合などは特に必要かと思われます。
 
 2 多重債務相談の場面で
 
 それから続いて、多重債務者の場面を考えてみますと、多重債務者も法律技術的には、利息制限法で計算し直して任意整理できるか、破産するほかないのか、あるいは民事再生が適切か、その他相手と交渉するとか調停もありますが、そういう具体的なメニューに分かれていくわけですね。そして、その分かれるための条件の有無を吟味していくということを相談の中でしなければなりません。これは当然の要件ですが、しかし、果たしてそれだけでいいんだろうかという疑問があります。
 つまり、その処理方針を決めるために必要な条件の有無と内容を聞くことにより、あなたの場合には破産が最も適切だという結論があるかもしれません。そして、本人も同じ考えかもしれません。法律的に全部当てはめてみて民事再生は無理だし、ましてお金が無いんだから任意整理するわけにもいかないと。じゃあ、破産でお願いしますということになるかもしれません。
 しかし、その破産状態に至った金銭管理とか生活の仕方、家族や人との付き合い、人生のあり方というものを、よくその人から聴き出さないと、本当にその方が、多重債務者が弁護士に頼んで破産して、それで法的には解決したとなっているけれども、本当にその人の人生の中で、その多重債務問題が解決したんだろうかと、もう一回問い直すとそうでないかもしれない。もしかすると、こんな2、30万円程度の費用で何百万もの債務がゼロになって、何の制裁も受けないでやり直すことができるんだ、楽なもんだな、世の中甘いもんだということを、内心で思っているかもしれない。それは、人それぞれではありますけれども、いろいろな多重債務に至ったその人固有の状況というものを分析してみようとする姿勢が重要だと思います。支払不能になった原因というのは人それぞれなわけですから、今現象に現れているのはどこにでもあるような多重債務者の問題現象かもしれませんが、そこに至った原因というのは、人生の原因、自分の金銭感覚における原因、人付き合いでの原因、いろんなものがあって、この相談の場面に来ているわけです。
 その人の人生というものを私達が聴くこと、そしてその方が多重債務の問題を法的に解決するだけではなく、自分の人生を改善して改革してやり直すんだということの意識を持って、そして、自分がそこから新たな場面を創り出して、別の本来の幸福を追求していこうということを力づけてあげられる、支援してあげられる、そして私もあなたの人生を見守って、あなたが自分の判断と力でこの場面から解き放たれて自由になれるように期待していますよということを、メッセージとして伝えること。こういうことも法律技術面とはまた別に、その人の人生にとって大いに重要なことだし、そして、弁護士に対しても期待されている場面ではないでしょうか、ということであります。
 
Y 法律相談の特徴
 
 1 心理カウンセリングとの違い
 
 そのように、カウンセリングという言葉を中心にしてお話を進めて参りましたが、傾聴、受容、共感という趣旨は理解しても、そんなことだけでは済まないだろうというのが、弁護士としての仕事なんですね。つまり、カウンセリングというのは、一般には元もとは心理カウンセリングといわれるように、心理学、特に臨床心理の場面で一般に使われている言葉であって、支援活動の理念であります。
 心理的なカウンセリングの場合には、本当に聴くことだけなんですね。極端に言えば、よく聴いてあげて受容して、そして共感してという作業過程だけで終わるわけです。説教的なこととか、あるいは、こうすれば問題から解き放たれますよというような、積極的なアドバイスをするということはしないのが心理カウンセリングの原則です。つまり、あくまでも、クライアント(相談者)その人が自分で自分の人生をつくっていくんだ、カウンセリングをするのはその一つの道筋をその相談者が自覚できるようにする、示唆を与える程度なんだというのがカウンセラーといいますか、その相談を受ける人の役割だとされております。
 しかし、弁護士に求められるのはそうではない。カウンセリング的な要素も、今までお話したように、たくさんありますが、それだけではなく、相談者の問題を解決しなければならないという大きな課題・テーマ、つまり実現目標があります。そして、その場面において法律という手段が出てくるわけです。ですから法律相談というものを、言葉どおり二つに分けますと、「法律」と「相談」です。私がカウンセリングという言葉でいろいろお話したその趣旨は、相談という場面です。ちょっとこじつけみたいになりますが、相談という場面が、そのカウンセリングというような意識を持って、弁護士自身の対応の仕方を変えていってはいかがかという提案です。
 
 2 実現目標の確認
 
 それに対して、法律という場面を抜きにしては弁護士の仕事は成り立たないし、本来の相談者からの期待される場面に応えることにもなりませんので、ここが大事ですね。
 そこで、相談というものと法律というものとの関係というものをここで考えなければならない。私はですね、法律−相談ではなくて、本当は相談−法律なんだということを言って問題認識のあり方を提唱しております。つまり、法律という色を付ける前の相談事があって、それを全部傾聴して受容して共感できるようにしましょうというのがカウンセリングである。さらに次に、それを踏まえて法的な判断というものをしていかなければならないし、場合によっては具体的な手続きや方策ないしこうあるべきだということを示さなければならないし、今すぐこれをしなければならないということを説得しなければならない。そういう場面が私たちの法律相談の場面の一つの特徴であります。
 そこで、相談者は弁護士に相談する際に、大部分の人が何を実現したいのかという希望、期待を持って、実現目標といっていいと思いますが、それを持って来られます。そして、相談者が想定している実現目標を本当に実現することができるかどうか、そのためにはどのような手続き、手法があるのかどうか、それを弁護士に聞きたいというのが、法律(相談)という場面での課題であります。
 
 3 積極的に訊く
 
 そこで、ここからは皆さん方が日常的に行なっていることで、今さら聞くまでもないという場面であるかもしれませんが、先程の相談ということとの関係で若干申し上げます。カウンセリングは、よく聴き容れるということですが、基本的には受け身なんですね。この場面では相手が喋るものを何でも聴いていく、聴き容れますということですからね。しかし、その中にすべての判断できる材料、つまり要件事実が含まれているなんていうことは保証の限りじゃないし、普通はそんなことないですよね。逆に、一部分しか材料が示されないのが普通です。
 そこで、弁護士は積極的にこちら側から相談者に対してたずねていかなければならない。つまり質問をしていかなければならない。そして、その質問によって相談者が答えて、その部分も全部含めて法的判断ができるだけの情報を、この相談室のテーブルの上に出さなければならない。相談者と共有しなければならないということですね。
 このように、カウンセリングの聴き容れるということだけではなく、こちら側から積極的に質問をしていく。場合によっては反対尋問的にあなたそんなことを言っているけれども一般にはあり得ないんじゃないかと、常識的にいってそれを事実だというのはおかしいよ、という疑問や問題意識も含めて聴いて、質問をしていく。尋問というとちょっときついですが、そういうことをしていかなければならないということがあります。
 
 4 受容しつつ尋ねる
 
 その場面で、注意をしなければならないのは、やはりカウンセリングとの関係です。前半では全部聴き容れてあげるような、そういうことでよく聴いてくれた、信頼に値する良い弁護士だなあと思っていたのに、いざ相談の後半になってからは次々と反対尋問のような、相談者を突き刺すような鋭い質問が浴びせられる。自分としては分かってはいるんだけども触れてほしくないというような場面もたくさん入っていたはずです。そういう中で、先程の相談というのと法律という場面に移ってきたら、何か自分の味方なのか、それとも自分を攻撃してやっつけようとしているのか、非難しているようにも見えるし、何なのか判らなくなったということで、そこで信頼感がグーンとこうマイナスに働いてしまうということがあり得る場面です。
 この場面ではとりわけ気をつけたり工夫をしなければならないと思います。同じことを聴き出そうとする場合でも、敵方から聴かれるのと自分を信頼して助けてくれようとしている味方から聴かれるのとでは、全然情報の出し方も違います。敵に対しては小出しにしてしまいます。味方だったら、それを聴かれたならば、その点も目標実現にとって大事なのかと理解するでしょう。そして、実はそうなんですよ、こんなこともあったんです、ということで次々と進んで知らせようという気持ちになるだろうと思います。
 そういう要件事実をはっきりさせる、判断するために必要な情報を聴き出すということもまた、弁護士として必要な場面であって、そのための技術も自分を信頼している相談者との関係での聴き方の態度、技術、工夫というものを自分自身で磨いていくことが必要だろうと思います。
 
 5 解決策の提示と自己決定
 
 それから、これもまた、皆さん方は実行されていることだろうとは思いますけれども、相談の終盤で、相談を踏まえてその後どう行動するのか、という現実的な対策が最終的な課題になります。つまり実現目標を実現するためにどうするのがよいのかという場面です。相談だけして分かりましたといって帰るんじゃなくて、次に弁護士に頼むか、あるいは頼まないまでも自分が相手と交渉するのか、場合によっては諦めてしまうのか、最初から訴訟をするということまでを決断するのか、いろんな場面があります。ここでもやはり、相談者本人が自ら決定するということ、それを大切にして提案するということが大切です。
 自ら決定するということについては、例えば、これしかない、これ一つしか途はない、あなたの場合にはこれしかないんだと弁護士が言ったら、それを取るか、あるいは取らないで現状のまま甘んじるか、どちらかしかなくなってしまいます。ここでは、問題解決、実現目標を実現していくために、複数の選択肢を必ず与えるということです。相談の最後の場面において。
 例えていえば、権利はあるけれども事情によりその実行を諦めるというのが一つの選択肢としてあったとすれば、権利があるからそれを実現するために訴訟をやるという選択が、逆の極端の方向にあります。二者択一だけではなく、その中間にも、調停をやりましょうとか、内容証明を送って相手の対応や反応を見ましょうとか、いろんな手段の選択可能性というのがあります。その選択肢を必ず与えて、提供して、そしてその中からできれば本人に選んでもらう。あるいは、弁護士自身がABCの中でAがお勧めだというのであれば、それぞれの利害得失を説明した上で、Aを勧める理由を述べるということをする。そういうことを経て、最終的には本人に選択してもらうということ、これが最初からカウンセリングという相談者主体の視点で述べてきた最後の相談の終わり方のところです。やはりあなたの問題はあなたが解決する、その手段もあなたが選ぶというところに結び付いていくのではないかと思います。
 
Z 相談を通じた修練
 
 1 人間を理解する
 
 それから、最後にお話をしておきたいのは、今日も弁護士の方々が多くこの場においでいただいておりますが、弁護士も、例えば、年齢的にいえば二十代から七十代まで、いろんな年齢層の方、それからいろんな経験を積まれた方、経験のない方、今から経験していこうとされる方、いろんな方がおられます。その中で、特に比較的若い方々に対して、相談者への対応姿勢という視点からお話したいことがあります。
 弁護士は、法律の理論については判っているのかもしれませんが、人間については分かっていないのではないかと思います。あるいは、分かったようなつもりになってしまっている場面が多くあるのではないかと思います。まして、職業経験もないまま二十代の半ばくらいから弁護士になって、世間から先生と言われています。先生というのは、見方によっては、誰も批判しない誰も教えてくれないということでもあります。そういう立場に置かれてしまいますと、本当に自分がやっていることが依頼者のため、相談者のためになっているのかどうか、不安が出てきます。それから、その前に自分自身が果たして人格的に、あるいは職業人として一人前になっているんだろうか、ということについての疑問を持っています。そういう不安の中で、私たちは日常的な相談を含めて業務を行なっております。もちろん、その不安は何歳になっても何十年経験しても常に付いて回りますし、その不安がなくなったならば、自信過剰気味でかえって危険だともいえます。
 
 2 有り難い間接経験
 
 実務の経験が浅い方々、これから私は一人前になるんだという意識と向上心を持っておられる方々については、法律相談の経験を次のように受け容れてもらいたいと思っております。つまり、法律相談に来られる方は、それぞれの年代においていろんな人生経験を経て、そしてたまたまトラブルとか心配事とか、自分だけでは解決できない問題状況に立ち至っているから、弁護士である私の前に来られているんです。もし、そういう問題がなければ、私とお会いすることもなかったはずです。私たち弁護士は、そういう人との間において、その人の人生というものを、他人には話せないような場面をも含めて、すべてを聴くことができるという、素晴らしい立場にある、私にはそういう機会が与えられている、と考えることができます。
 そうしますと、その相談者の人生というものを理解することによって、私自身の人生に置き換えて、私自身の人生勉強になるということであります。そのようなつもりになって、最初から困りごとを抱える人の相談というものを、法律という枠を外して相談者の人生を聴いてみようと、どんな人生の中でこの問題ができてきたのか、相談者がそれを抱えてしまったのか、ということを、その背景から理解しようとすることです。本人が解決しようとする方向性についても、それも人生観の一つの表れですから、それも相談者本人から素直に聴いてみようとすることです。それが自分自身の、大げさにいえば人格形成の一つの学習材料になるんだと、そういうつもりで自分の人生と相談者の人生というものを比較しながら、自分でその方の人生経験を受容してみる、そして共感するということが自己修練になるのではないかと思います。
 
 3 相談者の人生を尊重
 
 それぞれの年代とか、性別とか、社会的な地位や経験などによって、考え方が違うでしょう。同じような問題場面であっても、人それぞれみんな違った経過を辿ってその状況に達していますし、また、これから解決しようとする方向性もみんな違っています。そこが何故そうなのかということを、その人の立場に立って傾聴して原因事実に共感することです。自分自身もそれを分かるように、幅広い人格をつくりあげようという気持ちになって、一人ひとりの相談者に接していただきたい。また、そうすることによって、当然その気持ちは相談者に伝わります。そして、良く聴いてくれた、そして話も良く判った、納得した、そして相談に行って良かったという満足を得てお帰りになることができる。そうすることによって、次に相手と交渉するのは先生にお願いしたいと、それから訴訟するにも自分ではできないんだから頼みますよ、そういう依頼に結び付いていく、そして依頼の中でも代理人として対応する中でも、本人との信頼関係が続いていくことによって、双方にとって納得できる事件処理ができるし、そして最終的にご本人も満足できる結末、それは結果が良かったかどうかではなくて、その過程の中でこれだけやって良かったという到達点に至るのではないかと思います。
 
 以上、私に与えられた70分の時間でございましたので、これにてお話を終了させていただきます。独自の試論に過ぎない拙い話でしたが、最後まで熱心にご清聴いただきましてありがとうございました。


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