長岡壽一講演録《憲法と私たち》


主 催  山形県九条の会・憲法ネットワーク
事 業  憲法記念日シンポジウム(基調講演)
日 時  2005(平成17)年5月10日(火)午後6時
会 場  ウェルサンピア山形(山形市)
講 師  弁護士 長 岡 壽 一
      山形県九条の会・憲法ネットワーク代表


憲法をめぐる状況と私たちの生活
--憲法の読み方と市民運動--


はじめに
 
 皆さん、こんにちは。
 今日お配りした資料の中に、昨年12月11日にこの会の設立の総会を行ないまして、その時に私が30分ほどお話させていただいた挨拶の反訳文がついておりますので、後でお読みください。今日の話と合わせてご参考にしていただければありがたいと思います。
 
「九条の会」について
 
 この「山形県九条の会」という名前と、「憲法ネットワーク」という名前の、この二つ名前を繋げたのが、この会の正式な名称です。
 まず最初の「九条の会」は、2004年6月に、中央において文化人たちが9名集まり、全国に対して、憲法9条を考えていこう、そして守っていこうという運動を始めました。その運動が全国に瞬く間に広まり、それぞれの地域において「九条の会」という支部のようなものができ、全国で同じような活動が、展開されるようになりました。
 この山形県内におきましても、いくつかのグループが結成され、「九条の会」と同趣旨の運動を展開している、というのが今日までの現状であります。その中で、私たちもひとつのグループとして活動をしていきたいということでございます。これが「九条の会」に山形県という地域の名前をつけました「山形県九条の会」の設立、そしてこれからの運動の目的であります。
 
身近な生活と憲法
 
 ところで、憲法9条といいますと、戦争とか平和主義であるとか、直接自分に関わってこないという意味で、国際的・世界的な大きな問題としてだけ捉えられがちであります。しかし、憲法というのは、私たちの毎日の生活の中に直接的に関わってくる、私たちが憲法とどのような関わりを持っているのか、ということを日常的に考えることこそが、私たちの憲法意識というもの、そして憲法的なものの考え方、そして自分の判断の正しさというものを自分で創っていく、力を付けていくためには必要なのではないか。つまり、9条だけではなく、憲法全体を見わたして、私たちの生活、私たちの人生というものに関連付けて考えて行きたいものだ、というのが後の方の「憲法ネットワーク」の名称を付けた意味であります。
 憲法9条というのは今、大変大切なテーマになっております。それだけではなく、私たちの日常の生活や職業、それについて憲法がどのような基準や規範を示しているのか、考えていこうということであります。そこで、今日の私のお話も30分程度ということで時間が制約されておりますが、今お話したいのが2つの観点、@憲法9条ということと、A憲法が私たちの人生にどのような関わりを持っているのかということと、Bそれらを踏まえて、私たちがどのような市民運動を展開していけばいいのか、と3つに分けてお話をさせていただきたいと思います。
 
「戦争のつくりかた」
 
 まず、ここに、「戦争のつくりかた」という子ども向けの本があります。絵を主にして、本当にわずかばかりの文字で構成されておりますが、この中にこんなことが書いてあります。
 「私たちの国の憲法は、戦争しないと決めています。戦争したい人には都合の悪い決まりです。そこで、私たちの国は、憲法に戦争に参加できると憲法を書き換えます。」
 つまり憲法9条を改正するということですね。
 「さぁ、これで私たちの国は、戦争できる国になりました。あなたは、国のために命を捨てることができます。戦争で人を殺すことができます。戦争のために死んでも悲しむことはありません。政府は褒めてくれます。国や国際貢献のためにいいことをしたのですから。人の命が世の中で一番大切だ、と今まで教わってきたのは、間違いになりました。一番大切なのは国になったのです。」
 という子ども向けの本がございます。
 
現実の政治の危うさ
 
 実際、まさにこのような動きが、この本の中だけではなく、現実の政治、現実の国際的な状況の中で、そうならないと限らないような、本当に現実的な危うさというものが、この数年の間に次々と起こっております。これは毎日のように報道されるイラクをはじめ、北朝鮮、韓国、中国、アジア、もちろんアメリカとの関係、そういうものが、どれ一つ取っても事実上9条がないがしろにされかねない、危機的な問題状況にあるといえます。
 また、今、小泉(純一郎)総理大臣は、大変堂々として胸を張って、常に「これが正しいんだ」と断定して話をしてますね。彼の立場から日本国憲法を読んでみるとどうなるのか。これもまた憲法というものは、一つの法規範であり、解釈は読み方次第ですということを分かりやすくお示ししたいと思います。憲法というものは単に戦争をしないんだと書いているのだと思うと、大間違いです。読み方によっては、もしかすると戦争はできる、憲法を変えなくても、できるのかもしれない。私が小泉さんになり代わって、憲法の一部を読んでみましょう。
 
憲法前文の読み方(小泉流)
 
 憲法には、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動する。」と書いてあります。
 国民の皆さん、勝手な行動は謹んでください。国会の代表者が国をどうするかを決めるんです。いいですか、一人ひとりが勝手な行動をしては駄目です。国の利益に反するような言動は謹んでください。日本国憲法の最初に書いてあることですから、しっかり守ってください。
 さらに憲法には、「その権力は国民の代表者がこれを行使する」と書いてあります。
 皆さん方は代表者ではないでしょう。代表者は、私です。この小泉純一郎が代表者です。私がすべての権力を行使するのです。皆さん、あまり文句を言わないでください。皆さんが私を代表者に選んだのですから。主権者はあなたで、投票したのはあなたなのですから。
 次に、憲法はさらに、「国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う。自国のことに専念して他国を無視してはならない。これは他国と対等関係に立とうとする各国の責務である。」こう書いてあります。
 いいですか、今イラク復興を、世界中でみんなでやろうとしているのではないですか。日本国だけ手を引いて「サマワは危ないから引き上げよう」こんなことではだめです。みんなでやる。それが日本国憲法の理念として前文にちゃんと書いてあるのです。私は総理大臣ですから、憲法に従って政治を行ないます。文句ありませんね。
 と、こうなります。読み方次第です。
 
憲法9条の読み方(小泉流)
 
 続いて、憲法9条を読んでみましょう。憲法9条は、第1項と第2項に分かれています。私の3枚綴りの12月の反訳文の一番後ろに、憲法9条の条文を書いておきました。それから13条と99条の、3つの条文を書いておきましたので、そこを見ていただくと、9条に何が書いてあるか分かります。ここでも小泉流の読み方をしてみましょう。
 日本国憲法は戦争を放棄しています。これは当然です。書いてあるのですから。しかし、問題は、その戦争とは何なのかということです。第9条の第1項を読むと、国権の発動たる戦争と武力による威嚇、国際紛争を解決する手段としては、放棄するのです。そうではなく、隣の国からあるいはその別の国から現実に日本国が武力を持って攻められてきたらどうします。これは国際紛争なんて悠長なことを言っている暇はありませんよ、他人や他国の助けとか話し合いましょうと言って間に合うような状況ではないでしょう。数分で、隣の国からミサイルなどが到達してしまうのです。だったらどうします。
 これは「自衛権」の問題です。自衛権のない国なんてない、そうでしょう。自衛する権利のない国なんて、それは国ではないのです。国である限りは、自分を自衛する、自分を防衛する権利は当然あるのです。これは憲法よりも前に決まってることです。国であるということによって、当然の権利なのです。
 
イラク戦争もアメリカの自衛
 
 だから、ここで言っている憲法の意味を、皆さん間違わないで理解しておいてください。憲法9条第1項で言っているのは、国際紛争を解決する手段としては放棄するのです。相手から攻められて、あるいは現実にきそうになったら、あるいは現に攻められたら、当然これに反撃する、攻め返す、防衛する。場合によっては隣の国のミサイル発射基地を、発射する前に、1秒前にでも叩く。これだって当然の自衛の権利でしょう。こちらに向かっていつでも発射ボタンを押せるように、相手が準備しているんですよ。これができないというのなら、私が日本国の総理大臣として、国民の皆様方の命を守る、それだけの責務が果たせないではないですか。だから、これはアメリカと協力してでも、相手をその前に叩く。これが自衛権です。だからこそアメリカは、イラクに対して、地球上ではあんなに遠く離れていて、イラクからミサイルを撃っても届かないアメリカですら、(ペルシャ)湾岸にまで行って、そこから次々と攻撃を仕掛けて先制攻撃をしている。
 あれは自衛のための戦争なんです。皆さんわかるでしょう。アメリカがやったのは、アメリカ国民を守るためにやったんです。イラクのフセイン大統領が憎くてやったわけではない。そこを間違わないでください。これが自衛権というものの本質なんです。ですから、憲法9条はそういうことまで禁止している訳ではないのです。私はやります。皆さん安心して暮らしてください。私に任せておけば、絶対大丈夫です。
 というように読めるのです。
 
憲法9条の1項と2項
 
 これは政府の見解でもあります。それから憲法学の通説でもあります。第9条第1項の解釈です。
 しかし、憲法は第2項というものを設けています。第2項で、前項の目的を達するため、つまり、戦争を放棄するんだという目的をを達するために、陸・海・空軍、その他の戦力は保持しない、国の交戦権はこれを認めない、こういっている。
 だからこそ、自衛権はあるのだけれど、戦争はできないんです。
 そこで今、憲法9条の改正論議があり、参議院も衆議院も、憲法調査会報告書を4月に出しました。その中では、憲法9条は大切だ、特に第1項は絶対に守っていかなければならない。第1項を変えてはならない、と声を揃えて言っております。しかし、現実に自衛隊があるでしょう。一方で自衛隊を今のままにしておきながら、他方で憲法で戦力を保持しないと言って、矛盾したようなことではだめなんだ。現実に自衛隊があって、それなりの国内での活躍も国際的な貢献もしているではないですか。これを認めてください。だから、最低でも2項だけは変えてください。1項は大切です。素晴らしい大切な条文です。世界に誇れる私たちの9条です。1項は変えません。そうすればみんな現実と規範が一致して丸く収まるんです、と説明されています。
 
侵略戦と自衛戦
 
 つまり、戦争放棄という9条第1項は、侵略戦争の放棄なんです。侵略戦争をしないというのが第1項なんです。これに対して、自衛権の行使としての自衛戦争をもしない、というのが第2項なんです。1項と2項を合わせて読んで初めて、本当の意味での戦争の全面的な放棄になるのです。
 しかし、もし2項が無くなったら、侵略戦争はしないけれども、自衛のための戦争はできるんです。アメリカもイラクに対して、あれはアメリカを守る自衛のための戦争だ、と言っているわけです。それも自衛というだけではなく、差し迫った危ない状況になりつつあるから、事前の防衛的な戦争を仕掛けるんです。もしかするとテロリストが増殖されてアメリカにまた次々と襲い掛かってくるかもしれない。だから、あらかじめそこを叩いておけば、テロリストたちも根絶やしにされてアメリカは安心できる。自衛のための、防衛のための、予防のための戦争をしたわけです。だから、自衛戦争よりももっと前の段階で、あのイラク戦争は行なわれたと理解されます。
 ですから、9条の2項が改正されたら、当然に日本はいつでも法律に違反しないで戦争を自衛権の行使でなく自衛のために国民を守るために、生命・身体・自由・財産・国民の生活を守るために、国民の代表である総理大臣が、戦争を命ずるんだということになります。このように見てきますと、今の憲法改正、特に9条の改正問題の基本というものも、このように分析して考えみる必要があろうかと思います。
 
13条---一番大事な条文
 
 もう一つ、今日お話したいのが、憲法13条です。
 私の理解では、憲法の中で一番大事な条文が憲法13条であります。すべてのその他の規定は、この13条に関連して、あるいは13条を実現するために存在していると言ってもいいかもしれません。それぐらい大事な条文、大事な定めが13条になります。この13条も私の3枚綴りの反訳文の最後の方に書いてありますのでご覧になってください。
 ここの文章の中で私が重要だと思うのが二つあります。@一つは、すべて国民は個人として尊重されるという、個人の尊厳・個人の尊重ということが書かれていることであります。Aそれからもう一つは、その後に引き続いて、幸福追求に対する国民の権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とするという、個人の幸福追求権をもって、憲法が守るべき一番大切な価値なんだと定めている。これが13条の二つ目の意味です。
 これについても、小泉さんが読めばこうなります。
 その通り、大切なんです。個人として尊重される。これは当たり前です。私だって尊重されたい。あなただってそうでしょう。しかし、ここに書いてあるでしょう。もう一つ読み忘れてはいけません。皆さん、自分のいい所ばかり拾って読んではだめです。ちゃんと書いてあるでしょう。国民の権利についての次、「公共の福祉に反しない限り」です。「公共の福祉」というものがあるんです。それで全部網が被ってる。その網の中で、あなた方は自由なんです。公共の福祉の方が重要な価値なんです。皆さん、もし国が滅んだら、あなた方一人ひとり生きていけないではないですか。社会の秩序が保たれなくなったらどうなります。あなた方の幸せの追求なんて不可能でしょう。だから公共の福祉が大切であって、私はこれを守り秩序を実現していく使命があります。だから皆さん、その網の中で、屋根の中で、幸せに暮らしてください。いいですね。
 というのが小泉さんの読み方なんですね。
 
解釈の可能性と危うさ
 
 憲法にしろ法律にしろ、読み方次第、これを解釈といいますが、実際にそうなんです。
 私も弁護士として、同じ条文をめぐって争って、原告の立場で争うときは原告に有利に理論構成して主張します。今度、同じような場面であっても、別の人から被告の立場で訴えられている立場で頼まれたら、今度はその人の権利・利益を守るわけだから、その被告の立場で論理構成します。これは当たり前なんです。最近、テレビで「行列のできる法律相談所」とか、複数の弁護士が並んで意見を述べる番組があるでしょう。これは損害賠償請求が認められるか、認められないかとか、2対2とか分かれているじゃないですか。法律というものは、もともとそういう解釈を許すものなんです。
 つまり、科学的に自然科学のように割り切って、「これは正しい」とか「これは間違っている、貴方のやっていることは犯罪だ」とか、はっきり断定的に誰もが一致して判るものではないんです。それだけに、法律そのものは難しい。難しいけれど、あるいは、だからこそ、自分が主体的に正しいと思う実現しようと思う価値観、それを自分の力によって、自分の行動によって、自分の説得によって、実現していかなければならない。それを実現した方が自分の権利として憲法も法律も自分の味方につけることができるわけです。
 これに関連して、よく日本の政治の中で、玉虫色の解釈と言われることがあります。与野党合意して懸案が決着したが、どっちにでも有利に読めるような合意案文にした。そこから先はその後の力の強い人、説得力のある人、数の多い方。その解釈が正当なものとして現実の社会の中で、あるいは政治の中で通っていく。これは私たちが日常的に経験することであろうと思います。
 
市民運動への参加
 
 そこで幸福追求の権利については12月のお話の時にも少し述べておりますので、それをお読みいただくこととして、今日時間の関係もございますので、3番目のお話である「市民運動」ということについて、お話を進めたいと思います。
 いわゆる市民運動というものがございます。ここでいう「市民」という意味は、山形市民等の行政上の住民をさす市民ではなく、一人ひとりの自分自身で物事を考えて責任を持って行動する自覚した人のことを、法律や政治において市民と言っています。ですから、「私は山辺町に住んでいるから市民ではない」という意味ではありません。すべての生きている人は、広い意味での市民ということです。そういう市民運動としての意義とあり方を考えてみたいと思います。
 例えば、今日この会場に、200人近くの方がお見えになっております。この200人が多いか少ないか、これはその人の基準によって判断や評価は分かれることだろうと思います。これを私たちが共通の願い・目的を実現していきたい、そのための力をつけていきたい。そのためには、さらに沢山の人が同じ志を持つことが大切だ。そのような志を持っている人を多く集めたい、集まっていただきたい。そして、色々なお話を親しく交流したい。そう考えた場合、無理に、今日こういう会合があるから行ってみよう、ということで無理やりお連れしても、それは一回限りのことになり、それだけに終わってしまうことが普通です。
 そこで、ここに嫌々ながら来たけれども、長岡の話を聞いたりして、これは素晴らしい運動だから、これからも一緒にやってみよう、ということで、考え方を共同に共通にしていただければ、非常に幸せなことであります。けれども、人間はそう簡単には動けないし、1年に1回だけ会合をやったって、1年後にはほとんどの話を忘れてしまっている訳です。どんな話でも、そんなに長く記憶に残っていません。そうすると、1回のイベントだけではなく、日常的な活動と、日常的なものの考え方、ということが大切なのではないかと思います。
 
憲法を身近に置く
 
 例えば、ここに小さな文庫本サイズの本があります。これには日本国憲法が書いてあります。後ろの方からは英語でも書いてあります。それから教育基本法が書いてあります。日本国憲法と教育基本法が書いてありまして、1冊300円です。これは小さいのでポケットにも入ります。机の上にポンと置いていても構わない。条文しか書いてなく、解説は書いていない。だから薄い訳です。それをいつでも目の前に、あるいは手の届く所に置いておくことによって、仮に中身を十分読み込まなくとも、自分の意識というものが日本国憲法と近づいていきます。それを近くに置くことによって。だから、本棚に入れない方がいいですね。本棚に入れないで自分の机の上に置いておけばいいのです。300円しかしない訳だから多少汚れても構わない訳です。身近なところに置いておけばいいです。
 そうすることによって自分自身と憲法というものが身近に感じられるし、実際に中身を読んで見ると素晴らしいな、そのとおりだなと思うことが沢山あります。今、小学生から中学生・高校生と、すべての課程で、社会科とか家庭科とかそういう授業で、憲法の話をします。だけども、憲法の話は学校で教わっただけでは、特に子どものころ教わっただけでは、実際大人になってから職業等のなかで生活していく、その中で憲法が現実にどう関わるのか。実際の体験の中で憲法を受け入れることは、難しいです。なかなかできないと思うんです。
 ですから、大人になってからこそ、六法全書だと何千円もしますから、これは300円で買えます。それをすぐ手元に置いておくということをご提案したい。
 
運動の輪とネットワーク
 
 それから、もう一つは、色々な身近なところで自分が考えるだけではなくて、人とお話をするということが大切だと思います。例えば、2人いれば話ができます。3人よれば、さらに3倍に違う話が合わさります。そういう話のできる人を、仲間を、作ることが大切だと思います。その仲間作りは、あまり焦らなくていいです。急がなくていい、じっくりと作っていけばいいと思います。
 1年間に1人を見つける。そして、来年度のこの会合には、2人手を繋いで来る。そうするとどうなるかというと、今日の倍の方がいらっしゃるという結果になります。その次の年には、またその倍の方が手を繋いで一緒に来られる。1年間に1人です。簡単でしょう。そうすると7年後には128倍になります。判りやすく言うと、100人だとすると128倍ですから1万2800人になるんです。素晴らしいでしょう。すると、その内に山形県の人口を突破してしまいますが、それぐらいやろうと思ったら、現実にできることなんです。1年間に1人ですから。
 ねずみ講みたいなものですけれども、悪いことをしているわけじゃないから。みんなで一緒に幸せになりましょうという方法でお誘いする訳ですから。そういう運動を是非していってください。その運動をする、つまり今日から1年後の憲法記念日までの間に1人のお友達を、一緒に行きましょうと誘い、そういう会合があるのなら是非行ってみたいなとか、私も聞いてみたいな、発言したいなという人を、1人作っていただく、ということを、1人ひとりがやることによって、自然とネットワークが作られていきます。そのなかで、皆さん方が、関心を持っておられる方が、あなたもそうだったのか、だったら1年に1度じゃなくていろいろな機会に話をしましょうよ、という仲間の輪が重なっていくのではないのかなと思います。
 
今日のシンポを材料に
 
 そのようなことをしていただきますと、憲法12条に書いてあることが実現されるのではないか。12条にはこう書いてあります。
 「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない。」
 不断の努力によってこれを保持しなければ、先程小泉さんが解釈したように、同じものを読んでも別の解釈、別の運動展開になってしまうんです。そうならないためには、私たちは自分の憲法を自分で守っていく。憲法は遠いところの存在じゃなく、すぐ近くにあるんだと、私たちが常に自覚して進めて行きたいと思う次第でございます。
 そして今日これから、シンポジウムということで、4名の方々から自分の職業とか経験を踏まえて、憲法に関係するお話をしていただいて、それから会場にお集まりの皆さん方からも自由にご意見とかご質問とか他の課題を提供していただきたいと思います。その話題が来年に向けてお友達を作る、広げるための一つの素材としてお役立ちになれば、私たちも大変幸せに思います。ぜひ今日の2時間を有意義にお過ごしいただくように期待いたしまして、私の最初のご挨拶を終わらせていただきます。
 皆様から熱心にご清聴いただき、ほんとうにありがとうございます。引き続きシンポジウムにご参加くださいますよう、お願いします。


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