長岡壽一講演録(地方自治)


2001(平成13)年8月2日(木)
福島県河沼郡会津坂下町役場3階会議室
講師 弁護士 長 岡 壽 一
Nagaoka,Toshikazu

会津坂下町 まちづくり講演会              
まちづくり活動と法律のかかわり


 はじめに

 私自身の紹介をしますと、私は、1950(昭和25)年に生まれまして、今50歳です。明治大学法学部を卒業して、昭和53(1978)年から山形市内で弁護士をしています。社団法人山形青年会議所に11年間入っていまして、40歳定年にて卒業してから10年が経ったところです。この間、いろいろなまちづくりの委員会のような活動をやってきました。現在も山形市内で、まちづくり会議をつくりまして活動しています。
 今日は、そういう活動そのものではなくて、おもに法律または条例という点から話をさせていただきます。法律とか条例とかというと、あまり身近な関わりがないように思われますし、難しくて聞いてもわからないのではないかと思いがちです。
 まず最初に話したいことは、町づくりとは誰のためにするのかという目的です。それから、法律や条例とは誰のためにあるのか、そして、誰がどのような考えに基づいてつくっているのかということが大事だと思います。このような基本的な考えがきちんとしていれば、あとは技術的な制約があるかもしれませんが、本人自らのちょっとした努力で乗り越えられることなんです。最初にこのことを話して、次に法律や条例とはどのような位置付けにあるのかを話したいと思います。

 配布資料の確認

 お渡しした資料が3枚あります。
 1枚目は北海道のニセコ町の町長のインタビューの記事なんですが、これは、「法学教室」という、法律を学習している大学生向けの雑誌です。その雑誌の2000年10月号に載っていたインタビュー記事です。この方の経歴をみると、今40歳くらいのようで、大変若い方のようです。町の人口も4,600人と少ないようです。だから、町長の指導力に基づいて、全国に先駆けた施策、あるいは企画が行なわれているのではないかと思います。法律専門の雑誌ではありますが、2000年4月に地方自治関係の法律が大きく変わりましたので、この記事が載ったわけです。この会津坂下のまちづくりに共通するところもあるので、参考にしていただきたいと思います。
 もう1枚は、日本国憲法の条文です。憲法の中で、「地方自治」というのが第8章に定められています。条文でいうと、92条から95条までの4か条が憲法で定められています。条例というのは、この地方自治の中の1つの部門で、最初に憲法の規定からはじまるわけです。
 もう1枚は、地方自治法という法律がありますが、憲法に基づいてその法律がつくられているわけです。地方自治体が条例をつくるということで、法律においてどのようなことが定められているのかを見ていただくためにコピーしてきました。第3章「条例および規則」という項目があります。第14条(条例)、第15条(規則)、そして第16条にはその条例・規則などの技術的な事柄が書かれてあります。この法律では比較的簡単にしか触れられていないことがわかります。
 このようなことが、憲法や地方自治法などに規定されている内容です。

 住民の幸福づくり

 人間が地域で生活している、私たち1人ひとりが何を目的にして生きているのだろうか、という生きる目的に対して援助していくのが、自治体あるいは行政の役割です。人は何のために生きているのだろうかということが、物事を考える出発点だと思います。皆さんそれぞれ生き方が違いますが、すべてに共通する言葉で説明することができます。
 憲法では、第13条に、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と書いてあります。つまり、1人ひとり人間として、個人として尊重されます。個人の尊厳という言葉で表わされますが、それが基本にあって、ひとりの人間が幸福追求、つまり幸福になりたいと思う努力・工夫・営みを国が支援するということなんです。
 先ほどの、人間は何のために生きるのかという質問に対する答えは、「人間は幸せになるために生きている」のだと言えると思います。幸せとは何なのかということは、1人ひとりでみな違います。だけれども、抽象的な言葉でいうと、人間は幸せになりたいということを求めて生きているのです。そして、憲法のうえでも、このように1人ひとりの幸せを国は支えていくと言っています。そのための手段が、憲法であり、法律であり、条例であり、その他の規則なんです。出発点は、人間が幸せになるということで、各個人の幸せは違いますが、その違いを認め合いましょうということが現代の行政の方向性だと思います。

 幸せの歴史 @富国強兵

 歴史をたどってみると、例えば、明治時代(明治元年=1868年)から第2次世界大戦の敗戦(昭和20年=1945年)までの70数年間という間は、このように1人ひとりが幸せになるということを考えられない時代でした。明治維新の時から、アメリカやヨーロッパの軍艦が何隻も来て、大砲をどんどん撃たれて、地上から応戦しても全く届きもせずやられたわけです。これではいけないと、国を強くしなければいけないと考え、それが1つの目的となりまして、戦争が何回も続いたわけです。日清戦争や日露戦争や第2次世界大戦に至るまで、戦争が繰り返されました。
 結局、戦争とは、国を強くする手段です。国と国とが争って、自分の国のほうが強いということを、実力をもって相手に押し付けるというのが戦争です。なぜやるのかというと、その時代の国民が幸せになるための手段だったのです。今から考えればおかしいことです。戦争をすれば、多くの人を殺すし、自分達も命を奪われるわけなので、幸せとはいえません。しかし、国が滅ぼされては皆が不幸になってしまう。だから、一部の人が犠牲になっても国を守っていこうとする、国の存立だけを考えているのです。
 その時代の人の幸せを考えてみると、自分たちの安全、自分たちが生きるということがまず目的になっていたのです。それが達成されれば幸せ、という時代だったのです。個人の自由な発言や異なった独自の幸せなんて考えられなかったのです。昭和20年に戦争で負けた結果、このような考え方は排除されました。

 幸せの歴史 A経済大国

 敗戦の結果、それでは次に何を求めれば幸せになれるのかという目標が一時的にわからなくなってしまいました。今まで最高の価値だと思っていたものが滅んでしまい、何を求めればいいのかわからない時代がありました。今振り返ってみると、これまでの50年ほどはどんな時代だったのでしょうか。
 一般的にいえば、経済の時代です。この50年の間に次々と会社ができて、大きくなって、栄えていった時代だと思います。戦争中はそんなに会社なんてなかったし、会社員もほとんどいなかったわけです。農業に従事していた人が過半数を超えていた時代がずっと続いていたわけです。ところが、いまや数パーセントとなり、従事する人も高齢者となり、農業の存続が危惧される時代になっています。その反面、会社がどこでも誰でも営めるようになり、その主体が大きくなってきています。何万人または十何万人という従業員を抱える会社や企業グループもあります。
 会社の目的とは何かといいますと、利益の追求です。つまり、お金儲けをすることが会社の目的です。これは当然悪いことではないし、商法などの法律で認めている正当な業務です。会社の中で働いて、会社の利益が増えて、そこからもらう給料も上がっていきます。そうすれば、働く自分だけでなく、家族も安泰な生活を送られるという時代が続いてきました。ここで目標とすることは、「お金が欲しい」、そうすることによって欲しい物が得られる、そうすれば自分たちの生活が豊かになります。
 つまり、ここでは、幸せのための目標は、お金であって物であったのです。

 幸せの歴史 B個人の時代

 しかし、今はどうでしょうか。ほとんどお金、物があり余っていて、欲しいものは特にありませんという時代になっています。
 以前、山形県内の高校で講義をした時、先生がこう言っていました。学校内で腕時計の落し物が毎年30個か40個くらい出でくるのだそうです。もちろん、生徒に「落し物が届いています」と言うのだけれども、ほとんど取りに来ないそうです。私自身が初めて親から時計を買ってもらったのは、高校に入ったときでした。本当に大切に10年くらい使いました。今はどうでしょうか。中学生や高校生を見ると、皆時計を持っているし、しかも1つだけでなく、2つも3つも持っています。時計はいろいろな所で売られるようになったし、値段も2,000円、3,000円、あるいは1,000円で買えるものまででてきました。物の価値というものが変わってきています。物が安くなって、誰もが持っていて、物が余る状況にあります。物質的に満たされていて、何を買っていいのか欲しい物がない時代になっています。幸せの目的・目標が、お金や物ではない時代になっていると思います。
 では、今からの幸せとは何なんでしょうか。これからどうなるのか、誰もわからない時代の転換点にあるのです。国はもちろん、経済の土台はきちんとしているし、不況だといってもベースがしっかりしているので、壊れる心配はありません。また、地方は、東京や大阪と違って生活の土台がしっかりしています。ここで生きる会津坂下町の19,000人の人々が、今何を求めて、何をもって生きようとしているのか、これを考えることが町民と町を結び付けるのです。町民1人ひとりの尊厳という憲法の理念が、実現できる基盤が出来あがったのではないでしょうか。本当の意味での個人の幸せが実現できるという状況にあります。そこで、こういう話し合いをして、一緒に考えようとしているわけです。

 まちづくりは人づくり

 全国各地のまちづくりに関する条例をインターネットで調べてみました。その中身を詳しく見ると、「物づくり」の条例なんです。例えば、道路をつくろうとか、商店街を整備するとか、歴史的町並みを保護しましょうとか、自然を大切にしましょうとか、物を大事にする条例ばかりなんです。先ほど述べたように物だけでは本当の幸せは実現できません。物も大切ですが、その上に立つ新たな価値が求められています。
 私も20年来、まちづくりやそれに関する話を聞いたり活動してきました。結論として、「まちづくりは、人づくり」です。例えば、小学生や中学生にも自分たちの郷土を知ってもらう教育が必要です。教育とは、地方自治の一部です。国が用意した教科書は、あくまで最小限度のものです。この地域が将来どうあるべきなのかを、皆で考えようじゃありませんか。これが本当のまちづくりであり、教育です。そのためにはまず大人が知っていなければなりません。しかし、私が仕事などでいろいろな所に行くと、そこの地元の人に「ここの名物は何ですか。」「おいしいお店を教えてください。」と言っても、「ここは何にもありません。」と言って教えてくれません。つまり、大人の人たちが、自分の地元を知らないのです。これでは、地域のことを子どもが分かるはずがありません。
 まず70・80代の人の話を、50・60代の人は素直に聞かなければなりません。それから、子どもたちに伝えていくシステムが必要です。しかし、今そういうシステムがないのです。国単位で考えても上手くいかないのです。だから、地域といった小さい単位で、お互いの顔がわかるような中で教育をするべきだと思います。そのためのシステムを会津坂下町でつくればよいのです。このようなことをやっていくためには、例えば、教育委員会の人だけが集まって話をしても、多くの人にとっては受身なので、子どもだって本気になって勉強しません。親だって、勝手なことを決めたということで、反発するかもしれません。権限を持った人からこうやりなさいと命令のように言われても、皆納得しません。それだけ皆レベルが上がって自らの判断をするようになってきています。

 まちづくり条例をつくる姿勢

 上下関係なく、町民すべて同じなんだという意識によって、皆で話し合って納得がいくような方法で決めます。それを文章にします。いつでも見られるようにしましょう、必要に応じて変更しましょう、実態に合わなくなったものは変更して消していきましょう、といったようなことを皆で決めていきます。それが本当のまちづくりです。情報が町の中で自由に行き交うようにすれがばよいのです。そしてさらに、町の中だけではなく、外からの情報も受け入れる必要があります。町の中からだけの情報だと偏ってしまいます。外からの情報はとても重要です。それと逆に、外に対しても、自分の町の情報を提供することも大事です。インターネットを見ましたら、会津坂下町のホームページがありました。全国民に、あるいは全世界に町のことが向けられ、誇りになります。そうすれば、この町をますます良くしていこうという意識がでてきます。
 だから、今からの幸せとは、国を強くしていくことでもない、経済を強くして金儲けをしようということでもないのです。第3番目に目指すのは、1人ひとりが自信や誇りを持って生きられる、この土地で生まれ育った人が他の地域に行った場合に自信をもってこの地域が私の故郷だと言えるような、地域づくり、人づくりが本当のまちづくりなのではないでしょうか。
 町長がどのような町づくりをしようとしているのか、まちづくり委員会でどのような方向で検討がなされているのか、私は全く知りません。今話したのは私個人の考えでしかありません。だから、参考意見としてお聞きいただきたいと思います。結局、条例や法律は人間がつくるものです。人間の幸せのためにつくるのだということを考えていただければ十分だと思います。

 法律と条例について

 日本の法体系をみると、「憲法」が一番上にあります。その下に「法律」があって、次に「政令」があって、「条例」があります。誰がつくるのかによって法の形式が異なっています。
 憲法は国民がつくります。憲法改正には、国民投票をしなければなりません。国会だけでは、憲法改正をできません。改正してはどうかという提案ができるだけです。これに対して法律は、国民はつくれません。国民が選挙で選んだ国会議員が国会で決めるのが法律です。政令とは、内閣の中にある行政機関がつくるものです。国会がつくった法律を具体的に実現するためにつくられるものです。例えば、環境問題において、ダイオキシンなどの許容量や環境基準を1つ1つ国会で決めることは難しいです。だから、基本的なことだけを法律で決めて、具体的内容は政令に委ねられています。法律、政令はいずれも三権分立の中でつくられるものです。
 これに対し、条例とは、地方自治体、つまり、47の都道府県と3,300ほどの市町村でつくるものです。地方自治体の議会、ここ会津坂下町でいえば、20人の町議会でつくるということになります。条例は、その地域にだけあてはまるものです。この点で条例は、国全体に適用される憲法、法律、政令とは違います。目的さえしっかりしていれば、皆で話し合ってなんでも条例で決められるのです。他のところでどうなっているのかを考えなくてもいいのです。自分たちで独自に考えていいのです。あと、今の時代は、国全体で何を目指せば幸せになれるのかがわからない時代です。ということは、私たち1人1人が考えて、意見を出し合って、自由に討論をして、新しい幸せを見つけて、条例に載せればいいのです。
 憲法の中では、94条に「地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、および行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。」と書いてあります。これによれば、法律の中でしか条例は決められないのではないかという疑問がでます。しかし、そうではなくて、法律に反しなければ条例をつくることができるのです。今は、国の方が遅れているのです。地方自治体は、進もうと思えばどんどん進めるのです。1億もの国民を擁する国が動くためには、多くの議論が必要です。今回の参議院の選挙でも、半分しか改選されません。総選挙は、衆議院の場合、全部入れ替わりますが。国はゆっくりと10年単位でしか変わらないと考えてよいでしょう。いくら首相の小泉純一郎さんが「改革だ。」と言っても、そう簡単には変わらないと思います。だから、それを待つのではなくて、自分たちの町づくりは自分たちで考えるべきです。

 自治の本旨と条例づくり

 そのような協議をするときに、皆の意見はそう簡単には一致しません。逆に、すぐに一致するのはあまりよくありません。なぜかというと、今から新しいものをつくる時代なので、1人の意見に皆が賛成するやり方は違うと思います。また、個々人が違う幸せを求めることができるのならば、1つの丸になる必要はないのではないかと思います。その丸がはじけて、1人ひとりが独立できる時代がこれから目指すべきものだと思います。
 その場合、新しいものをつくるには法則があります。異質なものや人、つまりものの考え方の違う人やもの、システム同士を一緒にしてみて、新しいものがそこからでてくるという法則です。新しいものをつくるには、2つの違うものを組み合わせることです。例えば、農業で新しい品種をつくる場合には、1つの品種だけを一生懸命改良してやってもだめで、必ず2つの品種を関係させると新しいものがでてくるのです。これは、新しいものをつくろうとするのならば、自分とは考え方の違う人を大切にしなければならないということを教えています。
 しかし、権力をもつと、自分とは考え方の違う人を遠ざけようとするのが一般です。これは、人間の本性として必ずあります。権力者が「自分に従わなければ不利益になる。」などと言えば、皆それに従わざるを得ないことになってしまいます。これが、今までの日本の権力システムでした。だから、今の町長は、まちづくりに関して住民の協議会をつくるやり方を取っているのを見ますと、そういう権力者にはなりたくないと思っているのだろうと、私は解釈しています。そういう住民本位の町長がいるのだから、自由に、議員や自分たち住民同士で議論して、まちづくり委員会にたくさんの情報が出てくるようにしてください。そして、私たちの町をつくるための条例をつくろうではありませんか。
 条例の中身についてですか、他の市町村でもやっているような、物に関することも重要ですが、物の上にある人の教育、情報を取り入れてほしいです。他の市町村にはない条例をつくるなかで、改めてこの町のよさを分かり合うことができるのではないでしょうか。山形市は25万人で、福島市は29万人くらいです。人口が多いとこのような話し合いができません。あまりに大きくなりすぎて、いくら話してもまとまりません。だから、1万人、2万人規模の地域や自治体は、そういう点で自分たち住民の独自の考えが条例で文章になります。人口が多い大規模な自治体であればよい条例ができる、などと単純には言えないと思うのです。これからは、小さい地域で本当に充実した1人1人の幸せが実現できてくるのではないでしょうか。皆が話し合って条例の案文をつくっていくような、その過程こそが本当の地方自治の理想です。これをこのまちづくりの会合の中で進めていってほしいのです。その過程で、専門家などの違う人の話を聞いてみることが大事だと思います。そうすれば、さらにすばらしい条例をつくることができます。ここでできた条例は、20人の議員だけに任せきりにしないで、町民皆で話し合っていってほしいのです。


 質 疑

(質問1) 資料に載っているニセコ町について教えてください。
(長岡)
 ニセコ町へは行ったこともないし、その町長とも会ったことがないので、詳しいことは分かりませんが、法律の雑誌に載っているということで皆さんにご紹介したところです。
 この中に、情報公開条例をつくったこと、町づくり基本条例を立案中と書いてあります。これは、去年(2000年)発行の雑誌なのですが、インターネットで見たら、もうすでに条例は制定されていました。小さな町なので、皆で話し合って短期間の間に条例がつくり上げられたのではないかと思います。どこかからモデルをもってきたのではなくて、自分たちで独自につくったのだと思います。その制定過程こそが、住民自治の理念が現われる場であるということを、町長も述べています。

(質問2) 情報公開について、どのくらい行なわれているのか、また限界などを教えてください。
(長岡)
 今求められているものは、お金でも物でもなくて、情報なんです。自分が欲しい情報がどこにあるのか、その情報がほしいというのが多くの人の希望です。しかし、今は情報が一方的な伝わり方をしています。例えば、情報公開で得た情報は、その請求した1人の情報であって、他の人には伝わりません。情報の偏在は、情報公開だけでは解消できません。
 今の情報公開の基本的な考え方は、求められたら教えるというものです。ここからさらに拡張して、情報を持っている人が、その前に全部さらけ出すということが必要です。それをできるのは、情報公開の条例をつくる議会です。
 情報は、公開すること自体が目的なのではなく、その情報がどのように活用されたのかが重要なのです。公開された情報が元のところに返ってくるということがなければ、本当の情報公開は達成されないのではないでしょうか。公開した情報に住民の意見が加えられて、議会に戻ってきて、それに基づき議会で話し合うという、情報の交流が活発になることが必要だと思います。

(質問3) 議会と住民の関係についてお聞きしたいです。
(長岡)
 日本では「民主」主義とか政治という言葉を用いています。これは英語にはないのですが、デモクラシーという言葉を、このように代えてしまいました。デモクラシーのデモとは大衆のことで、クラシーとはその体制のことです。つまり、民衆が自分たちのことは自分で決めるという体制のことです。それを無理に民主と訳してしまったので、分かりにくくなってしまったのです。
 民主主義の原理のなかに、多数決の原則と言われるものがあります。政党政治に民主主義を加えると、結論は仲間が多いものの言い分に決まってしまいます。これをデモクラシーといえるでしょうか。多数決で意見が分かれても、なるべく一緒の意見になるように議論することが本当のデモクラシーです。多数決で少数意見を切り捨てるのではなくて、納得するように説得することこそ大切です。多数決で決めなければならないのは例外として、どうしてもこの日までに決めなければならない期日が迫ったときに、止むを得ず採用するのが本旨です。
 また、議会だけでなく、住民の意見も大切なので、話し合いに参加して何でも言っていいのです。参政権のない20歳未満の人の意見もすごく重要です。地方自治とは、国がつくった法律を実施するところなので、自由にやっていいのです。それが地方自治・団体自治であり、住民自治なのです。しかし、条例をつくるのは議会なので、制約はありますが、住民と議会は横並びの関係にあります。そう考えて皆で話し合って、最終的に住民全員一致で決まるのが理想ですが、それはかなり難しいです。独自のよいものをつくろうとなればなるほど、いろいろな意見がでてきます。それを調整することはとても大変なことですが、これを乗り越えてできた条例はすばらしいものになるでしょう。
 意見を調整する人をコーディネーターといいますが、それはだめです。調和をとることをコーディネートといいますが、町づくりにおいては、皆の意見をコーディネートするだけではなくて、意見を戦わせていいのです。町づくりにおいて調和をとってしまえば、町民憲章のような抽象的な内容になってしまい、つくる意味がなくなってしまいます。どうすればよいかというと、英語ではモデレーターと言い、日本語では調停者とでも言うべきでしょうか、それぞれのよい所を組み合わせて、利害を調整する役割の人が重要です。このようなことができる人が、これからのリーダーとしてふさわしいのです。まずは、そのような意見がでる場をつくってみてはどうでしょうか。

(質問4) 条例をつくるにあたって、よりよいシステムのあり方、またはヒントでもいいので教えてください。
(長岡)
 それに関しては、法則など何もないので、皆さん自由に決めてよいのです。
 私が12年程前に日本JCの委員会で神戸市に視察に行ったときに聞いた話ですが、神戸に宮崎さんという市長がいました。宮崎さんは、全国の地方自治体ごとにすばらしい町づくりをしたところに毎年宮崎賞という表彰を与えたのです。山形県でも西川町や寒河江市がもらいました。このように、町づくりに関して独自の考えをもっている宮崎さんの考えかどうかわかりませんが、神戸には独自の町づくりがありました。神戸は人口が140万人もいるとても大きな町なので、皆がひとしく町づくりに参加して、活性化させることは非常に難しことです。だからここでは、学区単位に町づくり委員会をおいたのです。六甲山の裏の住宅街と、中華街や商業施設が集約している中心市街地とでは、町づくりに関する考え方が違います。学区単位だと共通の話題があり、同じような考えや悩みをもっているのです。例えば、ごみ処理問題や道路の問題などを抱えています。地域ごとに出た問題を議会で話し合うというシステムがとられました。これはとてもすばらしいと思い、感心しました。ある程度町が大きくなると、地域ごとに情報を集めるルートをつくる必要があります。情報が、町づくりの委員会、そして議会、町長まで次々と伝わるような交流が行なわれればいいと思います。また、意見を出した人に対して「ありがとうございました。」「参考になったので、またお願いします。」といったお返しをすることも忘れてはいけません。

(質問5) まちづくりの具体的事例を教えてください。
(長岡)
 私は、いろいろな事例を知っている訳ではありません。だから、私がいつも考えているような個人の意見を申し上げます。
 町づくりのポイントは、同一の人たちとの仲間意識は深まっているけれども、異質な人との交流を持ちにくいことです。どの地域でもそうなんです。そのもちにくい部分を、町(行政)が支援する必要があります。そして、その結果、人と人との交流がなされて、人がさらに大きく成長するのです。自分自身も他人も分かる人が育っていくのではないかと思います。そういうことをするために、条例で条文化することが考えられます。例えば、こういう条件があれば奨学金をあげるといったような、助成金や補助金というお金をあげるということになりやすいが、それだけでなく、もっと異質なものとの交流を、町が町民に対してその場を提供します。そこにみなさん参加して、自分とは違う考えの人、違う生まれの人、あるいは言葉の通じない人と交流すれば、人づくりは飛躍的に深まっていくと思います。
 大分県に大山町というのがあります。10年くらい前にそこの町役場の企画課長が話していた録音テープを聞いたのですが、そこは約4,800人の人口で、山の中で何も格別の産業もない所なんだそうです。特産物といえば梅がありますが、梅なんてどこにでもあるので、特徴のない町なんです。山の中で本当に過疎の町なんです。そこで、戦後昭和30年代から、毎年何人かずつ外国に行かせているのです。町民から希望者を募って、もちろん、町役場の職員もいるし、一般の会社員もいるし、農業をやっている人もいるし、職業を問わず希望者を外国にやっています。昭和30年代というと、固定相場制で1ドル360円といわれる時代ですから、今と全く違います。外国旅行なんて簡単にはいけません。だから、片道分だけあげるので、帰りのお金は自分でそこで稼いできなさいということになっています。その代わり、きちんとむこうと提携をして、そこに受け入れてもらうようにしています。つまり、外国で働いてもらうのです。半年とか3か月とか契約して、期間がくれば帰ってきてもらいます。このようなやり方で、いままで2〜300人の人が行きました。
 行った場所というのがどこだと思いますか?。イスラエルです。中東戦争やユダヤ人とパレスチナ人の問題を抱えているイスラエルですが、そこの自治体と提携を結んで、住む場所と働く場を提供してもらって、その働いた分を帰りの飛行機代にしてもらっていました。ユダヤ人というのは、ご承知のように恐れられていたり、嫌われていたり、あこがられていたりと、世界の中でもとても特殊な人種だとされています。そういうところと、昭和30年代から、地方の小さな町が提携して、人口5,000人足らずの町がよくやったなあと思っていました。だから、そういう人が帰ってくれば、自分たちの町をどうするのかということを自分で考えられる力強い若者が増えていくことになります。
 その結果、平松さんが大分県知事になった時、大分県で一村一品運動を提唱して行なわれたのは、大山町でそういうことが行なわれているのを言葉に代えたというような話を聞きました。他のところではやっていないような独自のものをみんなで考えてやっていけば、それはとてもおもしろいことです。楽しいし、やりがいもあるし、子どもたちもみんな外にいって勉強して、一人前になって帰ってきた時に、ここでまた暮らそうとか、ここをよくしていこうという気持ちになります。これが本当の町づくりだと思います。


Copyright © 2006 Legal Counseling & Consultation Nagaoka Law Office. All Rights Reserved.