長岡壽一講演録《憲法と私たち》


主 催  「山形県九条の会・憲法ネットワーク」
事 業  同会の結成総会
日 時  2004(平成16)年12月11日(土)午後2時
会 場  山形国際ホテル(山形市)
講 師  呼びかけ人代表 弁護士 長 岡 壽 一


幸せになるための憲法と市民運動
--個人の尊厳と幸福追求権(憲法13条)--


 【講演の要旨】


 百年前の日本は、日露戦争の只中にありました。明治元(1868)年の明治政府樹立から世界大戦が昭和20(1945)年8月15日の敗戦で終結するまでの77年間、「大日本帝国」という国家を強く大きくすることが、国民の幸せの礎であるとされていました。日清、日露、日中、日米と続く大きな戦争の時代を通じて、一人ひとりの個人を尊重するという理念が見当たりません。
 人間のための憲法のあり方を考えると、人格を尊重し、幸福になろうとする個人の権利を国が最大限保障する、というのが憲法の原理で究極の目的であるべきです。その根本的価値観が、「個人の尊重と幸福追求の権利」として謳われています(憲法第13条)。
 ところで、幸福や平和は、待っていて他人から与えられるものではありません。追求し、獲得しようと常に努力し、その思いを行動に表わすことが大切です。いま、戦争に近づこうとする動きが多く出てきているなかで、歴史に学び正しい判断により勇気をもって一緒に行動しましょう。


 【講演の内容】


 皆さん、こんにちは。本当によくおいでくださいました。ありがとうございます。最初のご挨拶として、今日の会合の趣旨をご説明して、それから私自身の憲法について考えるところを若干付け加えて、皆様方にお伝えしたいと思っております。
 
 百年前(1904年)、日本は日露戦争の真っ只中にありました。明治時代にはいくつかの戦争をしましたし、昭和に入ってからも大戦を経過して、昭和20年8月の敗戦に至っております。明治が始まってから昭和20年の戦争が終わるまで、77年間ほど。このひとつの時代は何であったか、と考えると、この日露戦争や太平洋戦争に象徴されるような、国を、日本国、当時は「大日本帝国」と仰々しい名前をつけておりましたが、その帝国を大きくする、強くする、これが一つの大きな目的でありました。なぜ、そうするかといいますと、日本国民がそれによって幸せになれるのだ、という理屈であります。
 
 我々は、あるいは人類は、今まで生きている中で、そして我々の子孫がさらに生きていく中で、生きる目的というのは何か、どのような価値を目指して生きているのかを考えてみましょう。一言でいいますと、それは、「幸せになる」ことであります。何をもって幸せというかは、人それぞれの人生の中で決められることでありますから、その一人ひとりの中身にまでは立ち入らないにしても、共通の言葉で言えば、幸福になることです。
 
 そして、その時代ごとに、自分が属する組織、国、あるいは、例えば勤めている会社であるとか、地域、そういう大小のグループにおいて、それぞれの共通の目的、目標がつくられてきたわけであります。江戸時代の幕藩体制が終わって、明治というまったく新しい国をつくった。その新しい国をつくる中で、一番大切なことは何か、中央集権国家をつくって、その中で生活する国民が幸せになるためには、何が最も必要なのか、ということを追求していった。歴史的にそうであったわけでありますが、その時代においては、国を強くすること、国を大きくすることなんですね。強くするだけでなく、大きくすること、つまり広げていくこと、領土を拡張することですね。それによって、国民は幸せになれるんだ、というのが当時の政治権力者の主張ですし、多くの人々の考え方もそれにならって、またそのような教育もなされたし、政治も行なわれたわけです。
 
 そして昭和20(1945)年、敗戦になりました。敗戦というのは、国を大きくしたり、強くしたりすること、その手段として、暴力的な武器、戦争、という手段をもって、強くしようとしては、いけないではないか。日本だけではなく、もちろんアメリカも含めて、戦争で勝った国も負けた国も、もう武力、力ずくで相手をやっつけようと、そういう手段は、やめよう、そう決めたわけです。そして、日本国憲法もその中でつくられていった。しかし、憲法がつくられたからといって、その次の日から、大きな、基本的なそれまで何十年と続いた人の考え方が簡単に変わるわけではありません。しかし、国を強くする、武力によって強くするということは絶対にできない。そういう環境におかれて、60年近く過ぎようとしています。
 
 では、次に何が我々の幸せの基になるのか、何を実現すれば幸せになれるのか、という目的を、価値を、探さなければならない。それが昭和20年から始まったわけです。今振り返ってみますと、そこで何を探してきたんだろうか。武力によって国を強くすることではないですよね。幸いにも、数十年間、日本が主体的に戦争に入っていったということは、ありませんでした。では、何だったのか、と振り返ってみますと、会社を強くすることなんですね。つまり、自分が勤務している組織である会社、それを強くして大きくしていく。それによって、会社の収益をあげる。そしてその収益の中から、会社員の、会社員だけでなく公務員などもですけど、いろいろ職業ありますけれども、ひとくくりで会社ということでいいますが、会社を強くして、収益をあげることによって、給料を多くもらえる。そして、その給料つまり金銭によって、物質的に豊な生活をおくることができる。それによって、自分だけではなく、その会社にいる会社員一人だけではなく、一緒に暮らしている、家族の方々も幸せが実現できる。それを目指してきたのが昭和20年から最近までです。つまり、ここでの手段は、幸せになる手段は、お金なんですね。お金を得ることができれば、電化製品や家財などを買えるし、幸せになれる。10万円の給料よりも、20万円の給料をもらう方が幸せに近づく、という考え方であります。
 
 しかし、お金あるいは物、経済というのはある程度満たされてしまえば、ほとんど新たに欲しい物というものはなくなってきます。1990年ごろには、ほぼそれが達成されたんだろうと思います。またこれも振り返って10数年前のことを見ますと、敗戦というような誰が見ても端的に、外部から分かる出来事はありませんでしたけれども、平成元年、1989年12月29日、この日は東京証券取引所の平均株価が史上最も高かった日であります。38,915円。それが今、いくらでしょうか。1万とんで何百円です。つまり、4分の1といわないまでも、3分の1以下になって、ずっとその金額で、低迷しております。低迷かどうかは別にしても、事実として最近はその金額であります。株価というのは、日本を代表する上場企業につけられた価値、値段であります。つまり、会社を強くしていくことによって、会社員が、その家族が幸せになれるというのであれば、もっともっと高くなっていいはずだけれども、そうではないということ、つまり会社を強くしても、そこで働く人たちは、幸せになれないのではないか、ということを大部分の人が判ってきたのがこの時なんですね。1990年1月から、どんどん下がって今日、1万何百円かです。
 
 では、これから、1990年代から21世紀に入って、これからの時代は、何をもって私たちが生きる目的、つまり、幸せを求めるためには、何が目標になるのか、ということを探さなければならない。(明治時代のように)国ではない、(敗戦後のように)会社でもない、武器でもないし、金でもないのだ。では、何なんだ。そう考えてみると、昭和20年代あるいは明治維新のころと同じくらいの、何だろう、分からない、先行きが不透明だ、不安だ、そういう状況がここ10年来続いているということであります。ですから、今はその答えが判らなくて当たり前なんですね。しかし、ここで答えを見つける努力、見つける工夫、いろいろな人の情報を聴いて、そして将来を観ていく、その姿勢というものを身につけなければならない。さらに強く前を向いて、遠くまで見通す力をつけなければならないでしょう。
 
 そこで、今お話した国が強くなる、あるいは経済を強くする、会社を強くする、お金があればいい、こういうことにつきましては、これからの流れの中で、これからの私たちは何をもって生きる目的として、何をもって幸福とすべきなのか、という価値観、そのひとつの価値観のはっきりした目的・目標というものが、私たちの憲法に書いてあるんです。
 
 昭和22(1947)年5月3日に施行された「日本国憲法」にきちんと書いてあるんです。その憲法の趣旨というものを、私たち国民の一人ひとりが、これを読めば、なるほどそうだ、それを求めていこうではないか、ということが分かるはずなんです。憲法のなかで大事な、一番大切な条文は、憲法13条です。憲法13条には、日本国民が個人として尊重されるんだ、ということが書いてあります。つまり、一人ひとりが個人として尊重されるということです。国が戦争をやっていて、徴兵制だといって弾丸の代わりに、あるいは弾丸とともに国民の命を次々と犠牲にしていった、過去のどのような戦争でもその実態をみると、到底一人ひとりを個人として尊重していた、などとはいえないですね。しかし、今の憲法は、一人ひとりの人間を個人として尊重します、といっております。最も大事なところであります。
 
 だから、そこから当然に9条も出てくるのではないでしょうか。戦争をしない、武力による解決はしない。武力というのは、突きつけるのは自分の武力かもしれないけれども、それに対抗して、相手も自分に対して武力を向ける。現実の国際政治の中では、そうせざるを得なくなる。お互いに、武力行使は止まらない。それが戦争の本質であります。ひとたび戦争になると、一方が徹底的に破壊されるところまで進んでしまう、という特徴もあります。
 
 さらに13条には、もうひとつ最も大事なことが書いてあります。幸福を追求すること、です。個人が一人ひとり尊重されて、その一人の人間が幸福を追求する権利がある。その権利を、日本国、国は最大限の尊重をする、ということであります。つまり、ここで書かれている個人として尊重されるということ、そして、その尊重された一人の人格者である個人が幸せになろうとする権利をもって、その幸せを追求していくことができるんだ。それを憲法が国民に保障している、ということであります。
 
 日本国憲法の最大の理念、それが13条にあります。私は、それを中心において考えますと、戦争を放棄することつまり国際協調・平和主義、あるいは主権が天皇やその他の一部の人ではなく国民にあるんだという国民主権。そして、その一人ひとりの人権というものが、生存権はもちろんですが、そういうものを土台にした自由権・平等権、その他の権利が基本的人権として保障されていくこと。これらの憲法上の根本的原則は、個人の尊厳と幸福追求という理想を中心に置けば、そのほかは手段なんですね。手段としての制度、宣言、そして、その共通の目指すべき理念は、幸福追求と個人の尊厳であると考えています。
 憲法というと、生活から一番遠いところにある法律、このように受け取られがちであります。しかし、それは違う。憲法は、自分自身の人格と生き方、人生のあり方というものと表裏一体化して、同一のものとしてとらえられなければならない。そして、逆に法律であるとか、行政のあり方であるとか、それをその観点からみて、おかしいのではないか、こんなことをやってはいけないではないか、ということを判断する基準、それが憲法であります。その中での、憲法13条の理念というものを、ぜひ、もう一度自分自身の人生と一体化して、考えていただきたい。それが私からのお願いであります。
 
 今現実に、戦争に近づくような場面が次々と出てきております。また、国内では、競争原理、市場経済原理と言って、自由に競争して、強いものが勝ち残る、弱いもの、能力のないもの、お金のないものは、それに付き従って生きてください、それはあなたの力なのだから仕方ないではないですか、というような考え方が一般的に横行しつつある。これは両方とも、今お話した13条の個人の尊厳、それからその個人が幸せになっていく平等の地位、立場、権利をもっているんだ、それだけではなくて、国が放置するのではなくて、国が最大限個人の人格と人生を尊重するといっている13条に照らして、いかがなのでしょうか。大いに疑問を感じざるを得ません。そうすると私たちは、国の施策というものに対して、自分の価値判断に基づいて、それを評価したい。私がそれを賛成して取り入れるとするか、別の方向を国自体が向くべきだと考えて、志を同じくする人が協力し合って行動するか、それが大切な時代に入っていると思います。
 
 最後に、今お話したように、幸せというのは自然になるものではないんです。手を差し出して待っていると、そこに誰かがその幸せをくれるものではないんです。憲法13条も、幸福は追求するものだと書いてあります。誰が追求するのか、それは幸福になろうとする一人の個人でしょう。我々一人ひとりが、幸せになろう、と思って、思うだけではなく、手を出すだけではなく、自分からそれをつかみとろうする、力強い前向きの姿勢と行動が必要とされる。憲法も、私たちに対してそれを期待しています。それが今のいろいろな状況、政治、行政、経済、社会、そういう状況とか風潮の中で、考えなければならないテーマだと思います。
 
 「権利のための闘争」という言葉がございます。その最初のところを私の記憶で言いますと、法(権利)の目的は平和であり、――つまり法というのはあるべき姿をつくるのが法で――それに至る手段は闘争である。つまり、平和というのは、黙って見ていたのでは、実現できない、闘争、つまり武力を行使するわけではありませんが、常に平和を自分の力で、自分の手に獲得しよう、幸せを獲得しよう、それには行動と市民運動が必要だ、ということであります。そして自分の思いというものを行動に表わしていかなければならない、ということであります。そのような中で、今日の会合が皆様方お一人お一人の中に、心の中に刻みつけられる何ものかを、お持ちいただければ大変ありがたいと思います。
 
 これからの社会の中での組織運営のあり方につきましては、「デモクラシー」という言葉がキーワードになろうと考えています。デモというのは、大衆という意味で、例えば今日ここに300人の方がお集まりになったとすれば、その構成員の全体です。そしてデモクラシーというのは、日本では民主主義という言葉に置き換えられておりますけれども、基本的にどうかといいますと、ここに集まった方々が、この組織をどのようにつくっていって、どの方向にもっていくのか、運動方針を決めてやっていこうと、それを構成員全員が参加して意志表示して決めるというものであります。このように、どんな団体であっても、参加したならば主体的に関わって、そしてそこに自分が入っていく、あるいはそこから情報を得て、自分の幸せに結びつけていこうとする、そういうお気持ちで、ぜひ今日の会合に参加していただきたいと思います。ということをお願いいたしまして、呼びかけ人の代表としてのご挨拶にかえさせていただきます。
 どうも熱心にご清聴いただきありがとうございました。


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